右の乳首が凹んできた?
私の子供たちは完全ミルクで育ちました。
フォローアップミルクに移行しているのですが、なかなか2人ともやめられません。
長男を帝王切開で出産ののち、授乳が上手くできませんでした。特に右の乳首は陥没気味で口に入れることができませんでした。なんとか母乳を・・・補助乳首?をつけたりして訓練したんですが、長男は飲みっぷりのいい赤ちゃんで『腹減った~!!』アピールが激しい。ギャーギャー泣くので、ミルクをあげてたらもう出ません。
次男は逆に飲まなくてもいいような子で、乳をあげようと頑張ると寝てしまうような赤ちゃんでした。体重が思うように増えなくてミルク飲ませて、こっちも終了~。
次男を産んで1年が過ぎた頃、風呂場で自分の乳首を見て『なんか乳首がさらになくなってる気がする』と思ったんです。
胸が小さくなったせいかな・・と思っていたんですが、
乳首_陥没してきた
で検索すると、『乳がん』というワードにひっかかりました。
・・・私、乳がんなのかなぁ・・・
最初はそれくらいの気持ちでした。
次男の予防接種の際に相談
2020年11月26日
子どもたちの予防接種はかかりつけの産婦人科で受けていたので、次男の予防接種の時に『乳がんの検診ってやってますか?』と相談してみた。
そしたら、『マンモはないけど触診とエコーで出来ますよ。』と言っていただいて、その日はちょうど義母が家にいたので、一度帰って次男を預けて再度産婦人科を訪れました。
かかりつけの産婦人科の先生はいつもニコニコしていて、大好きな先生です。
しかし、呼ばれて診察室で検査を始めると、先生の顔が曇るのがわかりました。
エコーでは腫瘍と思われるものを何個も大きさを測っていました。
『結構いっぱいあるんですか?』
と聞いたら、『この辺のは大きさも小さいし、いいんだけど乳首の下がちょっと大きいねぇ。これは要精密検査ですね。』
と言われてしまった。
胸いっぱいに落胆が広がりました。
『乳がんだ・・・子供たち、まだ1歳と2歳なのにどうしよう・・・』
と、不安に押しつぶされそうになりましたが、病院では泣くのを我慢して、最寄りの総合病院の乳腺外科への紹介状を書いていただきました。
不安と戦う
『がん』という単語だけで、イコール『死』を想像してしまいます。
無邪気に遊んでいる兄弟を見ているだけで涙が出てきました。
『この子たちは寂しい思いをしてしまうかもしれない・・・』
『あと20年生きられるんだろうか・・・』
『私がいなくなったら主人は大丈夫だろうか・・・』
紹介していただいた乳腺外来に予約の電話をしたら、『混んでいて12月15日になります』と言われた。
!!
こんなに不安な気持ちであと2週間以上も待つんですか?
耐えられるだろうか・・・。と思っていたら
『ご紹介いただいた病院からの資料をみて、先生が早めに診察するとなれば、日にちが早まることもありますので、その時にはまた連絡します。』
と看護師さんの言葉。
診察が早まれば、がんの可能性が高いということかな
と解釈をした。
結果的に、その日の午後に『12月1日に予約変更します』と連絡があり、逆に不安になりました。
主人と義母にもこの日に『乳がんだと思う』と告白しました。
義母は泣いてました。申し訳ない。主人はまだわかんないでしょ。と楽観的にとらえていました。
心を開放するために
もう何をしても心が崩壊して涙が出る状態になってしまい、このままだと子育てに影響が出る。なんとかしてふるい立たなければいけないと思い、とりあえずこの心に渦巻いている不安を誰かに話さないとダメだと思いました。
ただ、それは誰でもいいわけではなく、主人や義母では近すぎるし、ましてや遠くの両親に疑惑の段階で話すこともできない。がんの経験のない友人に話すのもまだ早い気がする。カウンセラーを探したけど、これだってのを見つけられなかった。
そこで、私が頼ったのがいつもお世話になっている子育て支援センターの保育士さん。
『NPプログラム』という子育てに関する悩みをみんなで話しあうプログラムをやっていた保育士さん。このプログラム自体がカウンセリングっぽいなと感じたので、担当していた保育士さんに電話をして時間を割いてもらい話を聞いてもらった。
子どもたちはその辺でおもちゃで遊びながら、私は泣きながら、苦しい胸の内を話してある程度スッキリすることができた。
もはや『がん』になったら治療をするしか選択肢はない。解決策を求めているわけではなくて、話を聞いてほしかったんです。私としては、できれば本当に関係ない人が理想だったけど、ほどほどの距離感のこの保育士さんに話を聞いていただいて、本当に助かった。
それ以降、遊びに行くと『体調は大丈夫?』と気遣ってもらってますが、治療もなにもしてないし、まだ全然元気です。